HANNYA

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般若、5thアルバムは自らの名前を冠した「HANNYA」
1年に満たないスパンでのリリース、その瞬発力たるや、相変わらず歯切れがいい「ブログ」に通ずるものがある。
つうか、多様なオケの上で、思ったことをフィルタリングせずにポンポンと吐き出すスタイルは、あの「ブログ」のノリ、そのものだ。
そんな印象と、ポップ極まるジャケットの影響もあってか、少し軽いかなーなんて思ってたんだけど、よく聴いてみると、一曲一曲の強度も決して低くない。
むしろ、バラエティに富んでることでバランスが取れた、完成度の高い作品な気がしてきた。

オープニングにしてタイトル曲の「HANNYA」、単語、単語を小節に投げ、散文的な言葉遊びをしているようでいて「みーんなマイメン?んなわけないぜ」「思い出した、これが韻か、でも踏んでるだけじゃ粗チンだ」「オートチューン 聴きすぎちゃって嘔吐中」、っと要所要所でしっかりと刺してくる。
この一見ちゃらけてるようでどぎつい、機嫌よさそうなのに目が笑ってない感じ。
イントロに相応しく勢いのある曲だけど、いきなり般若節は全開だ。
「フェイク」では、吉本とジャニーズだらけのテレビから、着メロに代表される世に蔓延る薄々な音楽、この世のフェイクをバンバンバンバン、というよりは淡々淡々と刻んでいく。
あれもこれも、世の中のありとあらゆるものがフェイクだけど、フェイク、フェイクで韻を重ねてく中、「人生だけはワンテイク」、っていうフレーズが好き。
世にナチュラルに噛み付いてくアティテュードも、らしさ、だ。

変化球を武器とするのも彼の個性。
ド直球、ステレオに囁く天使と悪魔のダブルキャストを演じる「天使と悪魔」、こういうブラックユーモアは真骨頂。
携帯電話を擬人化し、ヴァースごとに違うストーリーを歌った「ケータイ」も面白い。
夫の浮気を知った妻に折られるケータイ、新しもの好きの女子にあっさり見捨てられるお古のケータイ、タクシーに置き忘れられたケータイ。
単純に面白いし、共感を呼びそうな下世話な目のつけ方が般若っぽい。
この感覚、ヒップホップの枠に縛られず多くの人に受け入れられるヒントだと思う。
電池切れでブラックアウトするところとか最高で、描写の巧さ、演出の巧さは確かなスキルを感じる。
「のぞみ」も笑える。
「シートを倒すとマダムが睨む 顔が伊良部 ちょっといらつく」とかさ、袋とじのくだりとか、夢オチのとことか、新幹線での移動あるあるでこれだけオモロイラップを聴かせるって、これも偉大なる才能だ。
「ドクタートーキョー」に比べると、ユーモア溢れる内容が増えた印象。

長渕剛をリスペクトしてやまない般若だけに、エモーショナルな曲もまた、力が入っている。
「オオーオーオオー」と、まさに長渕調のコーラスがフックに被さる「やってやる」は、タイトルまんま、開き直りのポジティブさにリアリティーがある。
「負けっぱなしもそろそろ飽きた」という歌詞にあるように、ただ前向きな言葉を羅列するだけの薄っぺらなポジティブではなく、ヤラレたことがあるからこそのエナジーが刺さる。
高揚感あるギターとシンセサウンドにシンコペのビートという組み合わせが、個人的にベストラックな「空」
激しく転調するフック前のブレイクもカッコよく、ビートの良さが際立つが、うまくいかない日々を綴るヴァース、「この空を飛べたなら」と願うフック、自由を願うメッセージソング、あつい。
作品中でも随一のヒップホップ濃度を誇る「最ッ低のMC」
自らのルーツ、敬愛するMCにシャウトを送り、オリジナル般若、妄走族、出自への思いを込めて己のヒップホップ観を吐き出す。
潔さが文句なしのカッコよさに繋がっている。
「ボタンひとつ」もエモい。
バリバリのギターリフが鳴り響き、四つ打ち、マイアミベース、転調しまくる超絶サウンドがたまらなくカッコいい。
荒れ狂うトラックに合わせるように、般若のラップもいつになくエモーショナルで、暴発する内面を強烈なリリックでスピットする。
激しさこそないが、静かに死生観、というか人生観から世界観を描く「ゼロ」もまた、胸に響く。
三線のような弦を弾く音色が寂しく奏でるメロに、貫かれている嘘のないポジティブさはやっぱり、グっとくる。

飽くことなきラップ力。
作品、現場、ブログ、どれにも相当な熱量があり、落ちない。
聞き取りやすさ、トピックの明快さ、遊び心と純度の高いメッセージ。
今はまだ叶っていないが、もっと非ヒップホップ層からの支持が得られてもおかしくないと思う。
ブレイクスルーのきっかけさえ与えられれば。
メジャーなチャートを賑わす般若を見ても、オレはまったく驚かないだろう。
by blue-red-cherry | 2009-08-12 14:39 | 音楽
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