魔王

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友だちの誕生日プレゼントにアマゾンで綾波レイのフィギュアを購入した際、送料無料に微妙に届かなかったために抱き合わせで買った、伊坂幸太郎の「魔王」、文庫版を読んだ。
この話は単行本が出た当時にすぐに読む機会があってそのときも感銘を受けたんだが、かなりの年月を経て改めて読んで、改めて興味深い作品だと感じた。


Franz Schubert (arr. H.Hoshina) Erlkonig / シューベルト(保科洋編曲)「魔王」




政治不信、景気の減退。
発表された3,4年前の時点ですら予言めいた内容が話題になっていたが、未曾有の不景気に見舞われながら政治家の不祥事が相次ぐ昨今は、数年前に意図せず(伊坂いわく)描かれたパラレル日本と合致する部分が少なくない。
発表当時は奇しくも小泉純一郎の出現と郵政問題を力技でねじ伏せた流れなどが、「魔王」内のカリスマ政治家・犬養とダブって見えないこともない、といった内容が巻末の解説に記されていたが、確かに実行力と人気を兼ね備えた小泉政権も、犬養ほどの圧倒的な力を見せ付けるまでにはいたらなかった。
再び興味を失った国民は、例の「誰がやっても同じ」という諦観ムードに逆戻りし、それが今と当時と変わらない雰囲気を生んだ。
筆者本人が政治はあくまでエッセンスに過ぎない、と言っているのだからここを深堀りすることにあまり意味はないが、あまりに重なる事象はオレたちの心象風景まで似通っていて、不安を通り越して不気味な気分すら覚える。

確かにこの、停滞した日本という箱と、そこに劇薬的な存在として現れた強権者・犬養は、話の軸となり、どっぷり政治の問題だが、「魔王」という物語の起承転結でいえば「起」でしかない。
ようは考えない、答えを見つけようとしないことに問題提起をしているように思う。
伊坂お得意の兄弟という設定のもとで描かれた安藤兄弟。
2人は所謂超能力と呼べる不思議な能力が与えられている。
この2人に与えられたちょっと不思議な能力は、それ自体はSFの域だが、見方を変えると、世の中に違ったアプローチをとる手段であり、その行為自体が所謂世の中を支配する最大公約数の発想を転換させるスイッチのように思えてくる。
兄の腹話術は「変える」手段だ。
人の言動を操る、ということはもの凄い能力だが、それは発言ひとつで世の中(そこまで大きくなくても何かの流れ)を変えることができるという目に見えるメッセージと、だから諦めるな、考えるのをやめるなという暗示なのではないか。
弟の運、確率を制する引きの強さもある種、人生を楽しむスタンスを表しているように思える。
人生を確率で考えれば夢も広がれば、失敗も割り切ることもできる。
どちらの能力にも共通して制限があり、それがまた己の力量の範囲でやれ、というメッセージにも思える。
犬養のファシズムにも似た煽動とそれに流されてしまう人々、考えないで起こす行動の集合体が導く恐怖を描く一方で、安藤兄弟、巨大ではないがそれぞれが持つ力とその可能性をメッセージとして伝えている。
お前らひとりひとりにだってできることはある、諦めるな、考えるのをやめるな、って。

なんだろう、「重力ピエロ」にも「ラッシュライフ」にも「グラスホッパー」にも何かしらのメッセージはあったと思うけど、物語としての印象が強いというか、この「魔王」に関しては安藤兄弟の物語やパラレル日本の物語としても面白かったんだけど、メッセージみたいなものを強く感じた。
この延長線上にあるという最新作、「モダンタイムズ」も近日読む予定。
何か、新しいメッセージを受け取れるといいな。
by blue-red-cherry | 2009-02-19 01:32 |
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