2012

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ローランド・エメリッヒ監督お得意のディザスター・ムービー、「2012」を見た(ずいぶん前に)
この映画もそうだし、そうじゃないところでもにわかに騒がれつつあった、古代マヤ人による「2012終末説」を軸に、人類滅亡をめぐる人間模様を描いた作品。

1999年のノストラダムスによる終末予言で、近しい人を引かせるレベルでビビりまくってたオレは、この手の話は目にしないようにしてたんだけど、予告編見てたら画が凄そうで、なかなか面白そうだったので見てしまった。





事の起こりと顛末を伝えきるためには、それをずっと見続ける一人称があったほうが決着がつけやすい。
この物語では、テーマのひとつである人類みな兄弟的な博愛の部分にも通ずる、2つの目線がある。
ひとつが実際問題地球に起こったマグマ、コアの異常を発見時から追い、対処を考える科学者・エイドリアンの目線。
もうひとつは、一介の作家でありながら、数奇な運命の糸といくつかの奇跡を手繰り寄せてサヴァイブするカーティスの目線。
前者は学者、最初から最後まですべてを知り得、政府の選民のもとに行われる方舟計画に選ばれた男。
後者は何も知らされずその日を迎える一般人の代表者で、度重なる死の恐怖を乗り越えながら、観衆と同じように真実を知り、伝えていく媒介。
時折、物語にヒントを与えに現れるエイドリアンと政府の動きを挟みながらも、観衆はカーティスと自分の目線を重ね、終末を生き延びていく。
ゆえに、人口のほとんどを飲み込んでしまう未曾有の悲劇でありながら、しかもその爆心地に身を置きながら、一般人のカーティスがことごとく、奇跡的に危機を乗り越えていく演出が過剰にデフォルメされて写ってしまうのは致し方ない。
最新技術を施した映像はリアルそのもので、迫りくる災害の恐ろしさは身に迫る。
だからこそ、ファンタスティックに生き延びる一般人の演出が笑えてしまうんだが、それはご愛嬌、だろう。

むしろ博愛主義の落とし前の付け方はどうかと思った。
正反対の場所で事件に遭遇する両者は同じく、国や世界の方針に疑問を抱く。
動物や学者、次代に残すべき存在を優先し、その次は権力者、最後は金持ち。
政府が打ち出した方舟計画(宇宙に行くと思ったら、地球に杭打ち込んでやり過ごすってアイデアは面白かった!)の選民思想に対し、一般人のカーティスが何とか食い下がっていくのはもちろん、土壇場で(その時点で多くの人は死んじゃってるんだが)その思想を覆すべく、エイドリアンも世界のリーダーたちを説き伏せて、最後は一人でも多くの人を生き残して大団円、という流れなんだが、まああの時点でベストの選択かもしれないけど、結局感じたのは、「仮に同じことが起こったらあっさり死ぬしかないわけね」という諦観。
最後に、その状況下でのベストを尽くすことで「オレたちはできるだけのことをやったんだ」でチャンチャン、都合良すぎないかって。
ひねくれているというか、卑屈なものの見方ではあるが、どうせなら誰も助からないほうがよほど、博愛の精神を感じられたけどなー。
人類の種を絶やしちゃいけない、って、死んでく人のほとんど、人類のほとんどには関係ない話であって。

映像が凄いのは知ってたし、実際迫力満点で楽しめたんだけど、基本遊びはなく、シリアスなサバイバルが続いていくだけに、ストーリーの核となる部分の都合の良さがちょっと、気にかかった。
演者の演技も素晴らしかったと思う。
特にロシアの富豪・カルボフのキャラクターは非常に面白く、彼のハイライトとなる死に際に至るまで一貫して存在感際立った。
個人的にはマヤ終末説推し、ではなかったことも幸いした。
冒頭に書いたように、あの手の預言系に弱いので、奇人的描かれ方をしていたチャーリーを除けばこの映画でマヤの預言説を訴えるものはいない。
逆に科学的に立証されていくマグマ沸騰説は、確かに恐ろしく、地震の頻発から崩壊の始まりに至る件も迫力あるんだが、散々っぱら方々で言われているとおり、その説自体のリアリティはさほど感じさせず、夜眠れなくなるようなことはなかった。

面白く、楽しんだとは思うんだけど、歯に引っかかるものが残った。
by blue-red-cherry | 2009-12-30 18:38 | 映画
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